【2025注目の逸材】
あんどう・げんき
安藤玄気
[愛知/6年]
きたなごや
北名古屋ドリームス
※プレー動画➡こちら
【ポジション】中堅手、投手
【主な打順】一番
【投打】右投右打
【身長体重】150㎝37㎏
【好きなプロ野球選手】高橋周平(中日)、岡林 勇希(同)
※2025年7月20日現在
2年前の“ガキんちょ”が
カメラを向けられてピースサインをつくるのは、昭和の子。令和の子どもたちは、思い思いにポーズをつくったり、自然な笑みで写ったり。幼いころから撮られているので、はにかんだりするほうが珍しいのかもしれない。
けれども、メディアのカメラの前では、我も我もと押し合いへし合いになるのは、小学生の常か。はからずも、学童野球メディアで公開しているYouTube動画の中で、10万超えの史上最多ビューを更新し続けている1本のエンディングにも、そういう無邪気が収められている。
2013年6月25日公開/15min※視聴は上写真クリック
「ドケ、ドケ!イエ~イ!」と、いの一番にしゃしゃり出てくる、ガキんちょ。彼こそは今回の主人公、安藤玄気の4年生当時である。
その動画は、北名古屋ドリームスの紹介記事に付随する「育成メソッド」の3本シリーズの中の1本で、安藤らが出ているのは中学年の『系統的かつ合理的な練習』だ。
あれから2年。最高学年となった彼らはこの8月、「小学生の甲子園」こと全日本学童大会マクドナルド・トーナメントに登場する。チームとしては3年連続7回目の出場となる。
安藤はこの名門で10番を背負う主将となっている。昨年も一番・中堅で全国大会にフル出場しており、1回戦では中越え三塁打など2安打をマークした。2回戦と3回戦では、球史に残るような名勝負も経験。日をまたいでの特別延長の末に、不動パイレーツ(東京)に敗れた3回戦は、直接の敗因ではないものの、大きな悔いを残しているという。
それは最後の攻撃となった延長9回裏、一死二、三塁での打席(=上写真)。「1点差でゴロを打つサインが出ていたんですけど、浅いフライを上げてしまって(左飛で無得点)。今年はチームとして全国制覇を目指してますけど、個人としてはアレの悔いを晴らしたい」(安藤)。
2024夏の全国大会レポートより※写真クリックで誌面へ
名将の親心にも愛でられ
走るスピードにかけては通う小学校でも無敵で、50m走は7秒1を誇る。野球の経験値も高く、「センターでの守備範囲と走塁の判断力」がセールスポイント。
2度目の全国で自身に課しているのは「出塁率7割」。可視化した目標をクリアできれば、チームはきっと日本一になっているだろう、と語る。
自分の頭で整理をしながら、考えや想いを素直に言葉にできるタイプ。1対1で会話をしていると、2年前の“ガキんちょ”の面影はほぼ感じないのだが、指揮官はこう評する。
「ドリームス史上、最もヤンチャなキャプテンですよ。彼(安藤)が一生懸命やるのが大前提で、彼がサボったらこのチームは終わりなんで。放置していると、やっぱりサボることもあるし、ちょっとくらいは荷物を背負わせたほうが、彼にはいいのかなと感じています」
岡秀信監督(=下写真)は、2021年にはチームを全国準優勝にまで導いている名将だ。内外の大人からも広く慕われる人格者。主将も一本釣りではなく、先輩たちの卒団後に選手の話し合いで決まったという。
いわば、仲間たちの推薦を受けた形の安藤主将は、このように語る。
「全国出場も決めることができて、今はキャプテンになって良かったなって思うけど、最初のころはキツかったです。監督たちに怒られるほうが多かったから…」
例えば、身体機能を高めるための冬トレでも、ほんの少しの手抜きでも下級生時代のように見過ごされなくなったという。また仲間の多くは、就学前のキッズチームからともに歩んできており、何でも知っている仲。それゆえに、背番号10の威厳は思いのほか軽く、集団を統率するにも苦労が絶えず。
指揮官は当然、そのあたりも知った上で、時に厳しくあたったという。
「安藤のヤンチャを去年は先輩たちが許容して、うまくまとめてくれたけど、今年はそれもなくなって。最初のうちは自分勝手とワガママばかりが目立っちゃって、相当に注意しましたね。そういう時期も経て、今がある。彼にはまた卒団したお兄ちゃんもいたから、その分も背負っていると思います」
就学前からチームに入り
安藤は2人兄弟の弟。父・健太さんはかつて、社会人のソフトボールチームでプレーしており、幼い息子たちを会場によく伴った。やがては、ナゴヤドームで地元の中日ドラゴンズを親子で応援するように。こういう日々の中で、息子たちは野球に関心を抱くようになり、3つ上の長男が北名古屋の一員に。父が回想する。
「私もそうなんですが、弟のゲンキは典型的な次男坊。いつも兄にくっついてましたので、当たり前のようにドリームスに入ってましたね」(健太さん)
写真は1年前。5年生ながらトップチームの一番打者に定着していた
北名古屋が全国区の名門となった要因のひとつは、就学前の幼児にまで門戸を広げたことがある。キッズ(幼児~2年生)、ジュニア(3・4生以下)、トップ(5・6年生)と3チームを編成。それぞれに父親ではない専門の指導者を配し、段階的な育成システムを確立している。
安藤の中にある、野球関連で最も古い記憶は、キッズ時代だという。
「ティーボールの大会で優勝したとき。お母さんも出ていて、みんなで勝ってすごく喜んだのを覚えています」
安藤家の敷地内には、祖父が建てた野球の練習場がある。18.44mの大人の距離でも投球練習ができる直方体のスペースで、そこでは出勤前の父と息子たちのティー打撃が朝の日課。平日の夕方は兄弟だけで、投球、打撃、正面ノックと自主練習を続けている。
夕暮れどきの兄弟はどうやら、ケンカも日常的なようだ。安藤が少し口をとがらせて告白した。
「お兄ちゃんは身長がもう177くらいあって硬式(東海中央ボーイズ)でやってるので、打つときはオレは硬球を投げてあげるのに、オレが打つ番になると、お兄ちゃんは軟球で変化球とかをめっちゃ投げてくるし…スライダーとか、130㎞くらいの速い球とか…」
弟にとってはきっと、笑いごとではないのだが、絵がリアルに浮かんできて…。ともあれ、安藤は普段からそういう「打てない球」も目にしているせいで、同じ小学生の投じるボールに驚いた試しはないという。
インパクトの目視を最近は意識。これで必然的に体の軸が保たれ、鋭く回転できるという
幼いころから、これだけのキャリアと努力を積んでいるのだ。夢は大きくてリアルだ。
「将来はプロ野球選手になりたい。野手一本でドラゴンズに入りたい。岡林(勇希)選手みたいなタイプで活躍したいです」
現在のチームでは、本職の中堅手のほかに投手も兼務。「コントロールと内外の投げ分けと、球の遅さ」が特長だと語る。驚くようなスピードボールはないものの、ヤンチャな次男坊ならではの勝負度胸は指揮官も大いに認めるところ。実際に苦しい場面で登板し、何度もチームを救ってきているという。
「ブルペンで一番調子の良い投げ方をつかむのが大事で、あとはそれをマウンドでやるだけ」(安藤)
マイナスもプラスも後先もあまり考えない。ある意味、無心の投球が好結果を招いているようだ。
偉大な兄に捧ぐ想い
『打って打って打ちまくれ!』
北名古屋のキャッチフレーズを一躍、有名にしたのは4年前の2021年夏。コロナ禍と東京五輪に伴い、新潟県で開催された全日本学童大会で銀メダルに輝いたときだ。計6試合で打率.401、7本塁打の59得点と、すさまじい猛打でばく進した。
そのチームで五番・三塁を任されていたのが、安藤の兄・大知。当時5年生で、翌年は中日ドラゴンズJr.にも選ばれている。だが、その兄たちの涙の光景を、当時3年生だった弟の安藤はハッキリと覚えている。
「マクド(全日本学童)の県大会2回戦で負けてしまって、お兄ちゃんたちが泣いていて…。今年、自分たちが2回戦のときにもそれを思い出しました」
県決勝は1点差で勝利。そのウイニングボールをつかんだのが中堅を守る安藤で、瞬間的に襲われた緊張は、従来にないものだったという。
「正面のふつうのフライだったけど、2アウト二塁だったので、落としたら同点だからウワァと…」
両親も見守る中で、旧知の仲間たちと歓喜も味わった。そして帰宅すると、兄から言われた。
「おめでとう!」
自分の代(6年生)で全国出場することは、兄にとっても父にとっても悲願だった。3年前の兄の無念も晴らした弟の心の内には、兄への憧れと感謝の思いが詰まっている。
「お兄ちゃんは小学生のころからずっとすごくて、野球のプレーも勉強の頭も良い。いつもいっぱい練習してくれて、ありがとう!って伝えたいです。それはお父さんにもお母さんにも」
思いやりの深さも次男坊ならでは、か。奔放で勝ち気な一方で、こんなところもあると父はそっと教えてくれた。
「そんなにガムシャラでズカズカいくほどではないし、下の子たちには優しいんですよ」
(動画&写真&文=大久保克哉)